会員便り

インターネットと同窓会 小宮 衛 (12期) 2010.09.15

小宮 衛 (12期) 2010.09.15

 
 昨年のことです。

小学校卒業以来音信不通になっていた恩師の消息が気になりました。その恩師は、

小学校2年生の時に師範学校を卒業して赴任し、クラス替えもせずに6年生まで担任して、教師を辞めてしましました。熱血教師で、たまには体罰もありましたが、生徒は大きな影響を受けました。その間、ご自身も早稲田大学に通い、学士になりました。

 教師を辞めてから、2年ほど東京にいたのですが、その後長崎に帰り、其のままになりました。

 私は途中で転校したのですが、クラス替えのなかった当時の生徒たちは纏まっており、私も含めて今でも集まります。70歳を目前にして、恩師に会ってみたいという声が上がりました。

 しかし手掛かりはありません。

長崎、ピカドン、師範学校、対馬、辰年が断片的な記憶からの情報でした。

試みに長崎大学同窓会を検索してみると、教育学部同窓会があり、旧制師範学校から継続している事がわかりました。HPを開くと、役員の中に同年卒と思われる方がいました。早速同窓会気付けで、其の方に恩師が同窓生にいないか、いれば消息がわからないだろうかと伺う手紙を出しました。

 しばらく何の音沙汰もなかったのですが、ある日、長崎から突然電話をいただきました。そして、同窓生にお尋ねの人は確かにおり、三年ほど前の住所は分かったのだが、もう住んでいなく、電話も通じない。師範学校は本科と予科がありその間の交流は少なく、半数は原爆の犠牲になり、生存したものも半数は亡くなっているので、いろいろ当たってみたが、個人的な繋がりを探すのも、自分の体調不良もあり、もう無理だとのことでした。

 それでも私は、もっと以前に長崎大学同窓会に連絡すれば、会えたのにと悔やみながらも、其の方に尽力頂いたことがうれしく、同窓会の存在とインターネットの発展をありがたく思ったことでした。

 現在、大学を卒業すると、転勤等で住所が変わること、会社を変わることが普通になっている、海外に住むことも稀ではなくなりました。そして個人情報保護法施行以来、名簿も発行できません。そして年々、連絡が取りにくくなっています。異業種交流も産学協同も、提携も他大学の同窓生間で起こることは珍しくありませんから、首都大学東京の卒業生は、かなり意識して同窓会のネットワークを維持しうる事が大切です。

同じ大学を卒業した事実は終生消えませんから、卒業後のバーチャル本籍登録地を同窓会であると考えて、首都大学東京応化同窓会のHPを通じて、最新の異動情報を、各人がインプットするようにしたら如何でしょうか。その集積によって、再びいろいろな活用ができるのではないでしょうか。

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同 窓 会 雑 感

顧問候補 馬場 宣良(1回生)
 
 この度、工化同窓会の顧問の話があり大変光栄に思っております。
 今私は第1期生として、また、工業化学科の初めての教員として複雑な思いです。
 と申しますのは、第1期生から第3期生までの方々には同じ教室で学んだ学友として同窓生の思いがあるのですが、第4期生から以降は研究室の助手と卒業研究の学生と指導者との関係、そして第11期生以降の学生とは助教授となって教室で無機化学、電気化学、工業化学概論などの講義も致しましたので教員と学生との関係としてのイメージが強かったのです。
 同窓会とはその名の通り同じ教室で学んだ学生の集まりですが、1953年卒業の第1期の学生から2008年現在卒業の学生まで非常に幅広い層をもった卒業生を一律に束ねることは非常に困難な事と想像しております。
それでも私はこれを大きく3つのグループに分けて考えております。

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同窓会への誘い

書記候補 上野 賢一(24回生) 

 気がついたら三十?年が経ってしまいました。
五十路を過ぎ、漸く同窓に目が行くようになったような気がします。皆様は如何ですか?
 私たちが学部を卒業したのは昭和51年で、都立大の24期に当たります。
 就職が厳しく院に進んだ方を除き、希望先に入れなかった方が多い時期でした。
 少人数での集まりを経て、数年前から同期で集まるようになりました。24期に因んで名称は錦(ニシキ)会と言います。立上げは宴会形式で会場を借りて行いましたが、二回目以降、苦しい懐具合と談笑時間の問題から、同期メンバーの会社施設を借りての泊まり開催となり現在に至っています。
 同窓会というと同期会と違い腰が引けて、取っつき難い印象ですが、先輩の失敗談(失礼!)や一家言を聞いたりするのも、偶には良いのではと思います。
 工化同窓会はあなたを待っている!!

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同窓の仲間、大きな財産

会計候補 保木 隆史(17回生)
 
 先日先輩から工化科同窓会の会計を引き受けないかとの打診があり、二つ返事でお受けすることにしました。
とは言え、私は卒業後同窓会の行事に一度も出席したことが無かったので、今になって同窓会とは何を目指している組織なのかと改めて考え始めた所です。 
 卒業生名簿を改めて眺めてみると、勤務先はやはり化学関連のメーカーが多いようですが、むしろもっと広い分野で活躍されている方が意外と多いことに改めて驚きました。
 このような異業種の多くの皆さんと交流の機会が持てる同窓会には是非とも出席したいし、魅力的な集まりに成るだろうと思うのです。       
 一昨年のことになりますが、私の在籍した高分子研究室のS44、45、46年在籍者で混成ミニ同期会をやりました。卒業以来数十年ぶりに会う人、噂だけは聞いていた人等少しはお互いを知っていたことも有り話しは尽きず、楽しく貴重な時間が持て近々の再会を約して別れました。 10年、15年前にやっていれば更に仕事を共通の話題として、もっと話が弾み色々な力も得たであろうと残念でなりません。

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先ずは同期会をまとめます

副会長候補 池田正義(13回生)
 
 学生時代は無機工業化学科金沢研究室にて、リン酸塩ガラスのテーマに取り組みました。
目出度く卒業後、日立化成でセラミックの開発を手掛け幸運にも抄紙機用ベッドの開発に成功しました。
 材料・設備の更なる開発により、他の追従を許さない高品質のこの抄紙機用ベッドはほとんどの日本の製紙企業に採用され高シェアを誇りました。
 その後特許論争に勝訴するも訴訟の間にシェアが落ち、企業の開発は総合的な戦略が必要であることを痛感させられました。そのことが、どんなに社会人としての自分を成長をさせてくれたことか。
 同窓会は正に深い襞を持った人達の集まりで、噛めば噛むほど味が出る集団だと思います。
 小井会長を盛り立てて、同窓会を更に味のある意義深いものにして行きたいと思います。
 その第一歩として、吾が13期の同期会をしっかりとまとめて行く所存です。

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