鈴木繁喬先生の想い出と偲ぶ会の開催

 去る6月18日鈴木繁喬先生が亡くなられた。享年90歳であった。都立大の工業化学科が世田谷区深沢の理学部に同居していた時代に講義をされていた先生方も、亡くなられた方が多いと思われる。鈴木先生は当時講義をされておられた中のお一人である。
先生は、大正12年(1923年)9月に横浜市に生まれ、昭和20年9月横浜工業専門学校(横浜国立大学の前身)電気化学科卒業、昭和21年3月同校研究科卒業、直ちに同校の研究助手となられ、その後学制が変わって昭和26年4月横浜国立大学工学部助手、昭和34年4月東京都立大学工学部講師、昭和37年3月工学博士(東京大学)、昭和37年4月助教授、昭和48年1月教授を歴任された。昭和62年3月東京都立大学を定年退職され名誉教授となられた。
 昭和34年4月都立大の講師となられたのは、荒木 峻教授が東京大学から来られたときに請われてとの話である。
 この間、昭和41年7月~昭和42年7月米国タフツ大学(ボストン)へ出張され、
日本分析化学会、電気化学協会を中心に活動されてきた。分析化学会機関誌「ぶんせき」編集委員長も務められ、昭和62年度日本分析化学会の学会賞を「流体系化学計測システムの開発」で受賞されている。先生は永年にわたり、各種環境分析に関わるJISを中心に、それらの原案作成委員会の委員、委員長をされている。荒木先生の後の研究室運営では、ご自身の電気化学、保母先生のガスクロマトグラフィー、長島先生の電気化学、山田先生の流れ分析・化学発光と分析化学の中でも幅広い研究を指導され大きな成果をあげてきた。
 研究室を開設してしばらく、工学部は男子学生が多く、星薬科大の今枝先生の研究室と交流するきっかけを作って頂き長らくおつきあいし、正月の餅つき大会の写真等が残されている。これを機に内山先生が都立大に来ていただくことになった事なども先生に負うところが大きい。また、先生は都立大学を辞められてからも、しばらく女子大の非常勤講師などをされていた。
 先生は海に親しんで育ったとのことで、三浦三崎とお聞きしたと思うが、泳ぎがお上手で、魚は新しいモノばかり食べて育ったご様子であった。そこで、荒木先生がお辞めになってからは毎年夏休みには研究室員全員で伊豆七島に泊まりがけで出かけるのが習慣であった。先生は海の中では魚のように泳ぎを楽しんで居られた。夕方になると、皆で釣った魚もまじえ宿の料理に舌鼓を打ち、お酒、花火と大いに盛り上がったものであった。
 先生は分かり易い授業で有名であった。電気化学に関する著書、解説記事等も多く、これらも分かり易い平易な文で書かれていた。先生の研究室を訪問すると、よく、研究室は卒業生が支えるというお話をされていた。大学で学んだ後、社会に出てみるといろいろと相談したいことが出てくるが研究室を気軽に訪問し相談すると研究室も盛り上がるので良いといってお忙しいなか、卒業生たちと研究室との交流を進められ、研究指導のみならず奥様ともども卒業生たちの仲人などもされていた。先生は旅行、美術鑑賞、食べ歩きその他趣味も多彩で、浮世絵に関連する本や画集も集められていたとのことである。

 これらのことから、分析研究室の卒業生を中心に先生を偲ぶ会を開催することになった。期日は本年12月6日(土曜日)、会場として最初、墓所である久保山霊園(横浜市西区元久保町3-18、連絡先は富士屋:Tel045-231-0425)で昼過ぎに墓参をし、次いで14時30分から横浜プラザホテル(葵の間、連絡先:045:461-1701)で会食をする予定である。参加される方は事務局・連絡先である筆者の処までご連絡頂ければ有り難いです。
 
     〒181-0002三鷹市牟礼四丁目2-26(電話:0422-44-4867)前田 恒昭

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