ウォ―キングツアー添乗員への道

1974年学部卒(1976年修士修了) 八木恭一

 今から10年前の1月上旬、「最寄りの駅からハイキングバスが出ているけど行ってみる?」という妻の一言がきっかけになった。
 現在私は36年余勤務した石油会社を4年前に定年退職し、地元千葉市のバス会社でウォーキングツアーのパート添乗員をしている。

10年前の私は、大腸に潰瘍ができる難病を患い2年間に4回(1回当たり1~2ヶ月)も入院するという闘病生活を経て、漸く通常の生活ができるようになるまでに回復したところだった。体力も少しずつ戻ってきたところだったので、ハイキングなら大丈夫だろうという軽い気持ちで出かけることにした。その時のコースは千葉県内の富浦漁港でアジの開き作り体験をした後、付近の岬を巡るハイキングや水仙の咲く丘を登る等のハイキングを行ない、出来上がったアジの開きを受け取って帰るというものだった。

私は中学生の時にワンダーフォーゲル部に所属したことがあり、友人とよく奥多摩の山々に出かけたものだった。その後は別のスポーツ(ラグビー)への興味もあり、山登りはすっかりご無沙汰だった。
 久しぶりのハイキングで自然の中を歩く気持の良さや喜びがよみがえり、その後定年までの約6年は、このバス会社のウォーキングツアーの常連となり、週末の日帰りツアーや年に数回行われる温泉や山小屋に宿泊する一泊トレッキングツアー等に参加することが楽しみとなった。そのバス会社を定年退職してパート添乗員をされていた方と個人的に親しくなり、ツアー以外にもその方と北アルプスや尾瀬、丹沢、奥秩父へ2~3泊の登山にも出かけるようになった。
 定年を迎えたころ、それまでの会社での継続勤務という道もあったが、バス会社でウォーキングのパート添乗員を募集しているという話が伝わってきた。そこで思い切って親しくなった添乗員の方に相談し、ウォーキングツアーのパート添乗員として働くことになった。それまでの石油会社ではプロセス技術者として石油精製技術導入や触媒採用等に携わり、技術相手の仕事をしてきた。それに対してツアー添乗員は不特定多数の人間相手の仕事であり、少し不安があったが新たな道にチャレンジしてみる事にした。
 バスツアーの仕事は、早朝、車庫からバスに乗り込み、指定の場所(最寄りの駅等)からお客様に乗車していただき、ウォ―キングのスタート地点まで向かう。移動の間にツアー代金の回収、当日のコース説明等を行う。原則バス1台に2名の添乗員が乗車して、ウォ―キング中は40名前後のお客様の先頭と最後尾についてご案内する。到着地点に回送して来たバスに乗り帰ってくるというものである。
 通常は日帰りが主なので、出かける範囲は関東近辺の栃木、群馬、埼玉、茨城、神奈川、東京、山梨、千葉等の丘陵や山である。時には長野まで足を運ぶ事もある。年に2回程、温泉に宿泊してその近辺の山登りも行う。また、尾瀬沼、尾瀬ケ原にも春と秋に1泊で出かけている。
 ツアー参加者は60代から70代の方々が主体でそのうち8〜9割が女性である。この年代になると男性は外に出ないのかなと思う次第である。
 私が添乗に出るのは月に7〜8回程度であり、その他の日は元の石油会社OBの山行クラブで月に3回程度の日帰り登山、数泊の縦走登山があり、個人的にも晴天を狙って山に出かけている。今年はウォ―キングツアーを含め山登りのために121日外出した。
 ウォ―キングツアーの添乗を始めて約4年たち、漸くお客様との会話にも慣れて来たところであるが、自然の中を歩くためには動植物の名前や生態等の知識も必要で、まだまだ勉強する事が多数あると感じている。体力が続く限り自然に親しむ生活を継続したいと思っている。

 尚、私がパート添乗員として勤務しているバス会社は千葉中央バス(株)で、ウォ―キングツアーのバス乗降場所は、JR千葉駅、京成津田沼駅等である。千葉市周辺にお住まいの方で、ウォ―キングや軽登山に興味の有る方は参加して下さい。

 また、ウォ―キングツアーや個人山行については、ほぼ毎回facebookに載せているが、公開範囲を友達に限定しているので、興味の有る方はまず私と友達になって下さい。

(2015年12月)
以上
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