都立大の思い出 西田 滋 (1期) 2010.09.16

西田 滋 (1期) 2010.09.16

 
 平成20年7月末に毎日出勤のサラリーマン生活約50年を終えて、都立大卒業後57年、81歳になりました。都立大は昭和24年新制大学として旧制都立高校、東京都立工業専門学校、東京都立化学工業専門学校など6校が統合されて発足したことはご存知と思います。

 当時の入学試験には今と似た全国アチーブメントテストがありましたが、都立大は国立大より早く試験があって合格すると後が受けられなくなるので、在学して次年度国立大を受け直す人もいて、学内は1年間落ち着きがなかつたように思います。
 入学式は目黒区の古色の府立高校講堂で卒業式も同じ所でした。いずれも安井都知事が出席され祝辞を述べられました。卒業式の学生自治会代表の答辞はもつと大学予算を付けてくださいでした。都知事はコロンビア大学を見に行かれたようですが、当時の昼夜通し制度などは今考えると進んだ制度とも思えます。首都大学には将来を見据えて、学内外の意見を集めて絶えず改革を進めること求めたいです。

 2年間の教養課程は旧制高校の先生が主でしたが、旧制大学の先生が黒板にドイツ語でゲゼルシャフト、ゲマインシャフトなど書かれて講義を始められた事が印象に残っています。会社に勤めて係長時代にこの言葉が社長と工場長の間で出てきて驚きました。哲学などは生徒に人気があつたせいか定員超過で取れませんでした。
 教養課程の化学は理学部の先生が担当され、野口先生の多摩川の水分析に休みについて行き、工学部と理学部との相違を知りましたが、会社の指示で約10年後第1回の水質関係第1種公害防止管理者試験を受け、無事通れたことで先生の研究が理解できました。
 教養課程1年目の時代は全学連が立ち上がり、戦後の反動で左派的な立場の学生が自治会の主流で工学部の学生はやや保守的傾向でした。2年目に学生自治会の役員をやらせられましたが、他学部の先生、役員との交流は大いに役立ちました。
専門課程では工業化学科電気化学教室の理学博士田島栄教授(旧都立航空高専)、小坂助手(旧都立化学高専)のお二人に教わりました。上級生がいないため卒業論文を2年間やらせて貰い、電気化学の学会誌の末尾に2回名前を載せられましたが、夏休みは2回とも返上でした。後輩の方にはぜひ独立(分担でも)で卒業論文に重点を置くことを勧めます。

 Chemical Abstractなどの引き方を詳しく教わったことは後にも大変役立ちました。都立大の図書館は戦災を受けなかったので、外国の翻訳小説、マルクス、エンゲルスなど借りて読むことが出来ましたが、専門書は殆ど無かったので田島先生の顔で東工大の書庫を利用させてもらいました。

 工学部の工業化学科は理学部の化学科に同居、次に理学部校舎が駒沢に出来てその一部を間借りしましたが、理学部化学科の先生の研究会など覗けたこと、理学部の単位が選択出来た事など良かったと思います。今後少数制の学生、総合大学の特色などフレキシビリティを残してほしいと思います。

 私個人は2年間、旧制高校の雰囲気が残っていた事を非常に感謝しています。

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